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紙舗 榛原聚玉堂 の歩み


初代須原屋佐助版等 聚玉文庫所蔵

榛原が守り伝えてきた紙の文化は、今日「聚玉文庫」として集積され、古きものを現代に、そして次の時代へ受け継ぐための調査・保存活動が行われています。所蔵資料は、肉筆画、摺り物、画稿、版木、千代紙、彫刻などの美術工芸品、江戸期よりの書捷時代の書籍類、原稿などの文献資料を中心に、明治大正期を中心とする歴史的な資料を保管しています。


榛原千代紙「重陽」画稿 聚玉文庫所蔵

榛原千代紙「重陽」 聚玉文庫所蔵

三代目榛原直次郎(1846-1910)
聚玉文庫形成の基礎を築く


柴田是真(1807~1891)「摺物」下絵貼り込み帖

聚玉文庫形成の基礎を築いたのは、明治から大正の榛原を導いた三代当主榛原直次郎(1846-1910)でした。彼は、日本美術の研究と保存に積極的な関わりをみせ、柴田是眞(1807-1891)、河鍋暁斎(1831-1889)、川端玉章(1842-1913)をはじめとする、様々な画家・図案家と交流を深めました。

製品のための作画依頼はもちろんのこと、彼らとの交流はパトロネージ(芸術支援活動)のかたちをとることもありました。芸術家たちとの関係を通じて、屏風や掛幅、画稿類など幅広い絵画資料が榛原に集められることになりました。

また、宮中の御用をつとめていた榛原(中村家)は、明治21年(1888年)に落成した明治宮殿の造営にも尽力し、有栖川宮熾仁親王殿下より堂号である「聚玉」の御染筆を賜りました。


「聚玉」有栖川宮熾仁親王殿下(1835-1895)

「聚玉」の印について

関坊印「澹泊明志/寧静致遠」(朱文長方印)、印章「公爵源/家達章」(白文方印)「静/岳」(朱文方印)、関坊印(右上のもの)「澹泊明志/寧静致遠」は、諸葛孔明が戦場で没する時に幼い自分の息子にあてた手紙の中にある言葉で、澹泊明志(たんぱくめいし)「私利私欲に溺れることなく淡白でなければ志を明らかにすることができない。」
寧静致遠(ねいせいちえん)「落ち着いてゆったりした気持ちでないと、遠大な境地に達することができない。」 を意味しています。


四代目中村直次郎の肖像画

聚玉文庫の蔵書ラベル

四代目中村直次郎(1880-1963)震災・戦災を超えて

大正12年(1923年)には、関東大震災により貴重な美術工芸品の大部分が失われてしまいました。資料の損失を目の当たりにした四代目中村直次郎(1880-1963)は、紙文化の保存の意義を一層強く認識し、コレクションの再建に奔走します。こうして、再び蒐集された資料が、四代目中村直次郎の手により「聚玉文庫」としてまとめ上げられました。

現代に至るまで、戦災などによって失われた資料もありますが、四代目中村直次郎の遺した目録のもとに数々の資料が「聚玉文庫」として伝わっています。 聚玉文庫の資料は100年単位での保存を考え、一部を国内の美術館・博物館(東京国立博物館、江戸東京博物館、紙の博物館、神奈川県立近代美術館、弥生美術館、金沢湯涌夢二館)に寄贈もしくは寄託されています。 これらを大切に保存していただいておりますことを、ここに深く感謝いたします。


「東京大震災実況 日本橋通り」
聚玉文庫所蔵

「東京名所 日本橋通り」
聚玉文庫所蔵

四代目榛原直次郎の著作

四代目榛原直次郎は、『雁皮紙と玳舫』(大正15年)、『聚玉紙集』(昭和8年)、『和紙雑考』(昭和35年)、『随筆からかみ』(昭和38年)という4冊の和紙に関する著作を数冊刊行し、研究の系統化に貢献しました。


左から「和紙雑考」「随筆からかみ」「聚玉紙集」

『雁皮紙と玳舫』は、雁皮紙を主軸とする紙舗の由来を述べた小冊子ですが、『聚玉紙集』は国内産の素紙100点の標本紙を解説した美濃判の和装帙入り本です。その序文には、「開業以来100余年の間に収集した貴重な和紙の標本が関東大震災で烏有に帰し、誠に惜しいことをしたと思ったが、今後もこのような災害が繰り返されるかもしれない。そこで未だ和紙が昔の俤(おもかげ)を存する間に代表的な標本を作成し、将来の好古研究者に対し、幾分なりとも和紙と云ふことに就いて貢献いたしたいと思ひまして、茲に和紙の蒐集を始めた」と刊行の動機を記しています。

蒐集する標本の範囲について「江戸文学に現はれて居る紙、江戸の美術工芸品作成に必要なりし紙、及び近古紙史を語るにふさはしき紙を選定しました。……現在紙名のみを残して全くあとを断つもの、又は昔に比べて紙質の著しく劣ったもの等は、特に由緒深き土地で昔のまゝに漉造させました」としています。自店で売っているものだけでなく、品質の高い昔の紙を特製させて伝統和紙の姿をよみがえらせるなどの丹念な作業を重ねて編集している様子が伺えます。

『和紙雑考』の前書きには「私は紙と共に暮らして50余年、紙に対する憧れは人一倍深い。私が紙から得た、見たり聞いたりした学問や経験をそのまま棄てゝしまう気にもなれず、古い記憶をたどって小冊子に纏めた。いつの日か、どこかで、紙を研究する若い人に、資料の一端にでもなれば幸いこの上ありません。」と記しています。

随筆からかみ』の内容は、中国との文化交流に始まり、もともと絵師の描いていた障子にから紙が張られるようになった歴史を、実例を挙げながら論じており、おそらく世界で初めてのからかみ美術史と捉えられています。判元としての経験に基づき文様の構成、染色法及び多彩な加工技法を詳述し、明治・大正期を襖紙全盛時代と位置づけています。