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榛原の歴史は、お客様の歴史であり、
お客様と接してきたスタッフの歴史でもあります。

    CONTENTS _1 生い立ちと榛原で働き始めるまで

    創業以来、榛原は紙を売る以上に、社会の情勢や流行に気を配り、
    お客様に喜んでいただける紙のご提案に、励んで参りました。
    60年に渡り榛原に勤め、お客様と接してきた番頭・星野をご紹介いたします。

    生まれは神田宮本町(現在の外神田)。
    幼いころは神田明神の境内を遊び場にしていた江戸っ子です。
    小学生の頃に空襲が激化し、群馬県の赤城山の麓に疎開しました。7歳の時に終戦を迎えますが、7人家族が東京で食べていくのは難しく、小学校を卒業するまでは群馬で暮らしました。東京に戻ってくるのは中学生の時の事です。

    そんな星野が榛原で働き始めたのは昭和33年、当時19歳の時の事です。
    バイクが大好きで、免許も持っていた星野に、店に勤めていた知り合いが宅配の仕事を頼んだのがきっかけです。榛原の社用車、ホンダの250ccバイクに乗って、東京中のお得意様の所へ各種和紙を届けて回りました。当時のお得意は、お寺やお料理屋さん。骨董品屋さん、お茶や踊りの御家元などでした。埃まみれになってお客様のお宅に伺うと、庭に洗面器を持ってきて顔や手を洗わせてくださり、縁側で薄茶とお菓子を出してくださる事もあったそうです。疲れた体にお菓子の甘さが沁みて、お茶とは何て美味しい物かとつくづく感じたとのこと。
    その他にも、ご家庭の書斎を見せてくださったり、お料理屋さんの女将さんが、賄を食べさせてくださったりしたこともありました。
    「お客様が、紙屋の小僧に対しても、もてなしの心で受け入れて下さった事が印象的でした。」と、当時の様子を振り返ります。

    熨斗絵 聚玉文庫所蔵
    熨斗絵 聚玉文庫所蔵

    CONTENTS _2 当時の日本橋の風景と榛原

    榛原ビルヂング(昭和5~平成2年)外観
    榛原ビルヂング(昭和5~平成2年)外観
    榛原ビルヂング 内観
    榛原ビルヂング 内観

    昭和33年頃、日本橋は、まだ戦後の空気を濃く残していました。
    中央通りには露店が並び、日用品の売買が行われていました。
    そして、当時榛原ビルヂングのあった永代通りには、焼鳥屋や、饅頭屋などの食べ物屋さんが並んでいました。
    交通の要所であった東京駅から、金融の町であった兜町にかけて、飲み屋さんが立ち並び、仕事帰りのサラリーマンで賑わっていたようです。

    榛原でも、戦線から引き揚げてきた人々が第一線で活躍していました。
    くわえ煙草で接客をし、近くの居酒屋で合成酒を飲みながら、戦地での体験談を教えてくれた番頭連中。
    型破りではあるものの、人命を掛けて戦った人たちは、面白い人が多かったそうです。

    当時、日本橋の大きなビルは軒並み接収され、連合国軍の住居やホテルとして利用されていました。
    榛原でも、将校のご婦人方が来店し、住居の装飾に使うに襖紙やついたて等を購入してくださったとのこと。
    英国大使夫妻がお土産用に和紙と筆を沢山購入された事もあったようです。

    CONTENTS _3 榛原のお客様 – 皇室から歴代宰相、ロックスターまで

    星野が仕事を初めてほどなくして、宮内省工務課から東宮御所の幾つかのお部屋の壁紙を発注して頂き、納品と、施工手配に携わる事となりました。
    榛原では、過去にも明治宮殿造営の際の内装や、晩餐会のメニュー表などの仕事を行っておりましたが、自身が携わる事になり、背筋が伸びる思いであったとの事。

    また、歴代宰相の名入れ便箋を作ったり、書や詩を書くための画仙紙や色紙などをご自宅にお届けしたりした事もありました。

    ある時は、プロダクションの奥様に連れられて英国ロックバンド、クイーンのメンバーが来店した事もあったようです。リードボーカルのフレディ・マーキュリーが自宅に日本風の部屋を造るに当り、壁紙を選びに来たとの事。
    スニーカーにデニム姿で来店し、カウンターに腰かけて商品を選ぶ姿にびっくりしましたが、和紙への造詣が深く、日本文化への深い愛を感じた様です。
    その後、滞在していたホテルに足を運び、議論を重ねた末に箔押しの壁紙をお求めいただきました。
    「どういったお客様でも、自然体に、無礼が無いように接する事」が、星野の接客の信条です。

    「多くの良いお客様に恵まれて、今の榛原があります。
    何故、お客様が榛原に戻ってきてくださるのか、いつも考えています。」という星野。
    その疑問の答えは、お客様が投げかけて下さる「この店に来るとホッとする。」という言葉にあると感じているとの事。

    「感性で活きている人間は、本来アナログな生き物である。それゆえ、どんなに社会が変わっても、紙は人間にとって必需品。個々の命には限りがあるけれど、店の命は永遠に続けることができるから、これからもずっと世の中に和紙を提供してきたい。」

    そんな言葉を持って、星野へのインタビューを締めくくりました。